「人生を変えるのに修行はいらない」を拝読しました。
考えるきっかけとなるような箇所は沢山あったのですが、ちょうど最近の自分に気づきを与えて頂いた箇所があったので、それについて書かせて頂きます。
それは146頁の「人が亡くなったときに必ずしもお坊さんがお経をあげる必要はないと思っています」という記述です。
私の実家は先祖供養を大変重視する家でした。
それは先祖への感謝からというより、没落した家を再興させたいという一念で商売を成功させた父が、自身の力を誇示するための方法のひとつだった、という方が正確な表現で、父はお寺の総代になり多額の寄進をし、お葬式に届く花の数と戒名の長さにこだわっていました。
ちょうど菩提寺さんも、若く野心に燃えたご住職に代替わりされた所だったので、父とお寺さんの思惑が合致したのか、とにかく謎にお寺関係の行事が多い家だったのですが、普段から神経質で激昂しやすかった父がお寺関連の事になるとさらにピリついてキレやすかった為、お墓参りや法事は子供だった私にとって大変緊張するものでした。
対して、平素から父と不仲だった母はこうした緊張感の漂う時に限って、私たち子供にだけわかるようにそれを茶化して笑わせてくる人でした。
もちろん母も神仏を敬う気持ちはきちんと持っていましたが、父達の過剰な態度の中に敬いの気持ち以外のものを感じ取って、それを面白がっていたのだと思います。
母の誘い水にのって笑ってしまうと、父からとんでもない制裁が加えられるので、私と弟はいつもヒヤヒヤしながら笑いを押し殺していました。
そんな父は一昨年に他界したのですが、父の会社は10数年前に倒産しており、今の実家には派手なお葬式をする財力も必要性もなかったので私はできるだけ簡素に、残された母の手元に少しでもお金が残るような形での葬儀を勧めました。
自分が建て直したピカピカのお墓を眺めて悦に入ってる父の横で、私たち子供に「お母さんは鳥葬にしてな笑」と言って父を激昂させたりもしていた母なので、すんなり応じるかと思ったのですが、母は、会社があった頃のようにはいきませんでしたが、それでも私からみれば十分すぎるちゃんとした葬儀を行いました。そしてその後の法要もこれまで通り、さらには別に直さなくてもいい墓石まで綺麗に作り変えました。
うちが倒産して以前とは違う状況である事をお寺さんはご存知で、その事は改めて私たちからも伝えてあったのに、父の死後、毎週のようにご住職が脇僧を連れて読経にいらっしゃる事も、それを受け入れている母親にも私は腹が立ちました。
両親はずっと不仲でしたので、父が他界した今、残された時間と活力とお金は母自身のために使って、これからは楽しく生きて欲しいと思っていたのに、また父のために、しかもお葬式やお墓など形式ばかりで意味のないことにそれらを使う、母の選択に納得がいかなかったからです。
そんな事もあって、今年の11月の父3回忌の法事に私は出ませんでした。
普段から父のことはよく思い出していましたし、亡くなってからの方が父を身近に感じていたぐらいだったので、わざわざ供養を表す意味を感じなかったからです。
そうしたら命日に、スーパーで父に驚くほど似た人に出会いました。印象的な出来事でしたが、昔からご住職や父方の祖母に聞かされてきたような、亡くなった人の思い残しが云々みたいなことは感じませんでした。
むしろもうメンツや形式に囚われなくて良くなった、父のユーモアのように感じたぐらいで、私は自分が形や慣習にこだわる狭い考えから自由になったな、ぐらいのつもりで受け取っていました。が、「人が亡くなったときに必ずしもお坊さんがお経をあげる必要はないと思っています」という一文を読んだ時に、形式にこだわっているのは母ではなく私の方だと、ハッとしました。
必ずしもお経や立派なお葬式をあげる必要はないとは、お経をあげてもいいし、立派なお葬式をしてもいいという事でもあって、つまり大切な事はそこじゃないよ、ということを書いておられる。
そう考えてみれば私が本当に母の事を思っていて、そして形式にとらわれていなかったとしたら毎週の法要でも鳥葬でも、母のしたい事を快く認めて付き合えていたはずで、腹を立てたのは、形式にこだわるべきではないという私の形式に、私がこだわっていたからだったと気づかせて頂きました。
そしてそんなことより私が気がつくべきは、不仲で最後まで苦労させられていたのに、父が望むであろう形に出来るだけ近づけて供養を行った、母の気持ちや在り方の方だったと思いました。
母は自分の生き方として、父への敬意を示す選択をしたのだと思います。
私も母のように、形ではなく自分の心で物事を選べる人間になりたいと思いました。